2019-01-01から1年間の記事一覧
パンダが愛くるしいのは、白と黒を持っている自分のことを全肯定しているからなのでしょう。
避けることばかり上手になると、行動も思考も止まってしまいます。雨が降れば雨を楽しむことが出来るなら、もう何も怖いものなんてない。
今はどんなに怖くても、あなたがあなたを取り戻し、安心して生活が出来る日はきます。
集中できない。落ち込む。イライラする。不安。それは、セロトニン神経が弱っているからかもしれません。セロトニン神経は鍛えることができます。セロトニン生活を始めてみませんか?
セロトニン神経が活性化されると、ストレスに強くなり、心身共に健やかな毎日を過ごすことが出来ます。セロトニン神経を活性化させる方法は、意識をすれば簡単に出来てしまうことばかりです。出来そうな分だけ試してみませんか?
落ち込んだり不安になりやすいのは、性格ではなく、セロトニンが不足しているだけなのかもしれません。私は弱いだなんて、自分を責める必要はありません。
人は肯定されると癒されます。自分を肯定するには、自分で自分をハグすることが効果的でした。
片方の翼では、飛べません。自分とは違うものの価値を認められた時、両方の翼が出来上がり、どこまでも飛んでいくことが出来ます。
7割が水である私たちは、海を抱えて生きているみたいなもの。たくさんの感情を育んでいるあなたの海は、とても豊かな海です。
脳は、考えたことを忠実に探し出します。脳と仲良くなってみませんか?
生きるの語源は息るだと教えてもらったことがあります。本当は、息をしているだけで十分に生きているということです。
この世界は、陰陽のバランスが保たれて成り立っています。あなたを悲しくさせるものは、あなたを生かすために起こっています。
放すには、自由にするという意味があります。離れていかないようにぎゅっと握りしめていた手を開いて自由にしてあげた時、本当に大切なことは、あなたの手のひらの中にずっとあり続けます。
忘れるということが起こる時、人は、その対象を受け入れています。
パニック障害の最大の治療方法は、忘れることなのではないかという考えにたどり着きました。 忘れるには、手や体を動かす時間を、無理のない程度に意識的に作り出してみましょう。
こわいものはなんですか?怖いのは、電車などの対象ではなく、怖いという感情の方でした。
パニック障害になった日から、全てが挑戦になったけど、全てに奇跡を思えるようになりました。それはもしかしたら、幸せなことなのかもしれません。
脳の誤作動によるパニック発作が起こるからといって、脳が機能していないわけではありません。神経伝達物質の乗る電車が、少し違っているだけのことです。
どうしようと不安になるのは、こうしようという解決策が分からないからだけです。 どうしよう?と不安になり始めたら、こうしよう!とすぐに答えを考える練習をしていくと、不安への抵抗力がついてきます。
ずっと人混みが苦手でした。でも少し考え方を変えただけで、人混みが怖いものから安心するものへと変わりました。人がたくさんいるって、頼もしい。
人は、経験したことのないものを理解することが出来ません。あなたの経験は、たとえどんなものであっても貴重なものです。あなたの経験は財産となり、この世界にとってかけがえのないものとして永遠に残り続けます。
パニック発作でどんなに呼吸が苦しくても、体は、大切なあなたの息を本当に止めてしまうようなことはしません。 発作が起きた時に、誰にでも出来るのは、呼吸をコントロールすることです。
パニック発作は、いつも休むことなく働き続けている脳からのSOSなのかもしれません。 いつも頼もしい脳が、唯一弱音を吐いたなら、答えてあげたいですよね。 脳の為に出来ることは、どれも基本的なものでした。
湧き上がっては消えていくこの思いを、あなたに伝えられたならどんなにいいだろう。感情に名前をつけた理由に思いをよせると、世界がとても愛おしくなります。
人生のどん底にいる時、宇宙はとても遠い気がします。それは、上がらなければたどり着けないという思い込みによるものでした。
「人を変えることは出来ない」理由を、私たちが1人1冊の本を持って生まれてきているという観点から解いてみたいと思います。
花粉症は、抗原が体内のタンクから溢れた時に発症すると言われています。感謝を言い続けると幸せになると言われているのは、花粉症を発症する原理と同じだと私は考えます。
目には見えないものを知るには、見ようとしなければいけません。心という目には見えないものは、どうやら心臓にあるにちがいない。心臓の音に耳を傾けてみると、私と同じ感情でいることが分かります。
今、何か止まっている気がする時は、羽を乾かす時期であるということです。堂々と立ち止まりましょう。飛び立つ日を心に描くことに集中し、しっかり羽を乾かしましょう。
生きているだけで、人は自己責任を既に果たしています。それを前提に、苦しい時くらいは何かのせいにして、今日という1日を生き延びればいい。そうして立ち直って、またもう1度、本当の意味の自己責任を、力強く生き始めればいいと思うのです。