雨なら雨を

 

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ココア、入りました☺︎

ごゆっくりどうぞ。

 

立ち寄っていただいてありがとうございます。

 

今日は日記みたいなものになりました。

 

雨が続いて、なんとなくボディーブローを受けている感じになりますね。

 

子どもの頃、傘を持っているのにわざわざ濡れて帰るという遊びをしました。

後に、波打った教科書をドライヤーで乾かすという地味な作業に追われることになるというのに、雨が降れば降られたままでいました。

 

雨が降れば雨を楽しむ。

 

あなたも、そうではなかったですか?

 

後のことは考えずに、今という目の前のことをただ楽しんだ天才は、一体どこに行ってしまうのでしょうね。

 

大人になるにつれて、雨に濡れないでいられる方法を考えるようになりました。

歩くよりバスの方がいいだろうか、

いやいや電車にしよう、

カバンは濡れないようにビニールでカバーしよう。

休みの日、お出掛けをしたかったのに、雨だからって止めたこともありました。

 

おかげで自分を守ることが上手になったし、

それって悪いことではない。

 

でも、避けることばかり上手になっていると、動けない自分になっていくのです。

体だけではなくて、思考までも。

「やらない」が自動運転になってしまうのですね。

 やらないしか選択肢がなくなって、

選択肢がないから考えなくてもよくなって、

思考は止まってしまいます。

 

やりたいこと、雨だからってやらなかったことがいっぱいある。

台風とかなら仕方がない。

でも、そうじゃなくても自動的に雨天中止にしていた気がする。

いつから基本雨天中止な思考になったんだ。

 

雨の日に家で過ごすのももちろん好き。

それなら雨の日の家の中を楽しもう。

やりたいことが外にあるのなら、

雨だって出て行こう。

やりたいことを、天気や何かのせいにして、

自動的に止めることはしないでおこう。

止める時は、意志を持って止めよう。

 

基本雨天決行でいこう。

 

そんなことを考えながら、

傘から少し顔を出してみました。

ポツリと頬に雨があたって、

飛び散った雫に思わず目を瞑ります。

肌で感じた雨がやけに嬉しくて、

少しだけ子どもの頃に戻った気がしました。

 

あの頃の天才はどこかに消えたわけではなく、

ずっとあなたの中にいるのかもしれません。

 

思い出してもらえるのを、

今か今かとソワソワしながら。

 

あなたと再び夢中になって遊ぶその時を、

じっと待っているのでしょう。

 

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