こわいものはなんですか?

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ココア、入りました☺︎

ごゆっくりどうぞ。

 

立ち寄って頂けてうれしいです。

ありがとうございます。

 

 

どちらかといえば怖いもの知らずだった私は、

パニック障害になってから、

怖いものだらけになりました。

 

外出

人混み

公共の乗り物

高速道路

渋滞中の道路

エレベーター

など、並べたらきりがないくらい。

 

毎日をただ無事に過ごすことで精一杯だったので、

「怖い」と思うことを疑う余裕はありませんでした。

 

自転車に1度乗れるようになると、その後は何も考えなくても乗れます。

それは、自転車の乗り方を脳が理解し、動きを自動運転に切り替えたからです。

 

自動運転に切り替えられたものは、何も考えなくても出来るようになります。

そうやって脳の負荷を少なくしていくことで、また新しいものを取り込んでいくのですね。

 

ん?『自動運転に切り替える』?

 

もしかして、「怖い」が自動運転に切り替えられているのではないか?

 

本当に怖いかどうかも考えないうちに、それらのことが、自動的に「怖いもの」として処理されていることに気がつきました。

 

外出が本当に怖い?

人混みが本当に怖い?

 

自分に問いかけると、怖いのは、外出や人混みといった対象ではなく、湧き上がる「怖い」という感情の方だということが分かりました。

 

「怖」という漢字は、

りっしんべんと布に分けられます。

りっしんべんは心を表します。

 

子どもの頃、暗闇やおばけを怖がりました。

今でも苦手ですし、実際におばけがきたら退散願うでしょう。

それでも、子どもの頃ほど怖がることはない。

「それは慣れたからだ」というけれど、どうして人は怖さに慣れていくのか。

 

そもそも怖いという感情は、脳が私たちを生かすために起こすものです。

高いところを怖いと思わなければ、無防備に飛び込んでしまうこともあるでしょう。

「怖いけれど、このくらいの高さなら大丈夫」ということを、経験や知識として習得し、少しずつ怖さにも慣れていきます。

 

そうして怖さに慣れることで、刺激だらけの世界でも生きていけるようになります。

 

「慣れる」ということを考えた時、私は、怖いという感情が起こるたびに、心に布がかけられていくのではないかと思いました。

 

大切に大切に心に布をかけて、

恐怖から心を守ってあげる。

 

「怖」という漢字には、そんな思いが込められている気がしてならないのです。

 

嫌だと思っていた「怖い」という感情は、

まさかの毛布。

 

怖いという感情が起これば、今心に毛布がかけられたと思えばいい。

そのぬくもりに守られ、今は安心してさえいればいい。

頑張るのは、怖いという感情と戦うことではありません。

頑張るのは、体へのアプローチです。

運動をして、ご飯を食べて、よく眠り、体力をつけることです。

家の中を歩くだけでも立派な運動です。横になりながら手足を動かすのも運動です。

楽しいことを想像することも、脳の運動です。

息をしているだけでも運動です。

出来ることを探してみて下さい。

決して最初から無理をせず、自分のペースで出来ることから始めてみて下さい。

 

運動すると、暑くなりますね。

暑いのに、その上毛布を着ているなんてとんでもない。

毛布なんていらないや。

体力がつけば、そうやって自然に自分から毛布を剥ぐ時がきます。

 

私は、ある日突然パニック障害になりました。

だから、ずっと自分に言い聞かせていた言葉があります。

 

「ある日突然なったのだから、ある日突然治ることもありえる」

 

今日パニック障害を抱えていても、明日も抱えているとは限りません。

 

明日、治っていることだってありえるのだから。

 

 

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