感情に名前をつけた理由

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ココア、入りました ☺︎

ごゆっくりどうぞ。

 


人は進化を続け、必要の無くなったものは退化していきました。
それでも、感情は退化しませんでした。

 

それは、どうしてなのでしょう?

 

その1つに、感情は人生の羅針盤であるから。という考え方があります。

 

本当に簡単に言ってしまうと、

「心がワクワクしていれば魂の望みに沿っていて、ワクワクしなければ魂の望みから外れているから、いつも感情を羅針盤にしておくんだよ」

という考え方です。

 

地図もない人生を歩く時に、感情は羅針盤になります。

 

私も、何かに迷った時にはこの方法を使います。

 

好き!  はGOだ。
嫌!  は一旦STOPしよう。
といった風にです。

 

好き、嫌い、嬉しい、哀しい…

感情にはたくさん名前があります。

 

感情が羅針盤の為にあるのならば、感情に名前をつける必要はないのではないか?

感情が退化しなかった理由は分かった。

でも、また新しい疑問が湧きました。

 

感情を羅針盤にして決める時、私はいつも自問自答をします。

 

どうする? どんな感じ?

 

そこには、私しかいません。

 

私しかいないから、わざわざ感情に名前をつける必要がありません。

 

あ、この感じ…GOね!
あ、この感じ…STOPね!

 

という風に、「この感じ」で済ませることが出来ます。

 

きっと済ませることは出来ていた。

 

ずっと昔から、先人たちは、そうやって羅針盤を生きてきて、

ある時ふと、思ったのだと思います。

 

何だか分からないけれど、目から雫がこぼれる。
何だか分からないけれど、胸のあたりが温かい。
何だか分からないけれど、眠れない。
何だか分からないけれど、踊りたくなる。
何だか分からないけれど、そばにいたい。

 

いつも湧き上がる思いと同時に起こる、

この感じ。

 

この感じ。

 

この感じ。

 

「この感じを独り占めにしたくないよ」

 

まだ、涙という言葉も無かった頃。

 

感情に名前も無かった頃。

 

湧き上がっては消えていく、見えないけれど、確かにあるもの。

 

つかまえられなくて、見せることが出来なくて、でもとても大切な気がするこの思いを、こんなにかけがえのないものを、あなたに伝えられたなら、どんなにいいだろう。

 

ずっとずっと昔のこと。

 

私たちは、何とかして感情を伝えられる方法を考えたのだと思います。

 

湧き上がるこの感情を、無かったものにしないように。
形には出来ずに消えてしまうものが、尊くて、愛おしくて、何とか残しておきたくて、
愛おしいあなたと分かち合いたくて、名前をつけたのだと思います。

 

これが嬉しいだね。
これが哀しいだね。
これが悔しいだね。
これが楽しいだね。
これが恋しいだね。

 

どれもみんな愛おしいね。

 

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