忘れる

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ココア入りました☺︎
ごゆっくりどうぞ。

 

立ち寄って頂いてありがとうございます。

 

 

 

何をしている時が1番好きですか?

 

薬で落ち着いてきた頃、先生に言われました。

 

創作することだと答えると、次の診察までに1つ作品を作り上げることが宿題になりました。

 

宿題と言われるとやらずにはいられず…

せっせ、せっせと毎日少しずつ、何かを作っていました。

 

治療とは関係ないと思えるようなことを、どうしてさせられていたのか。

今になって、あれは不安を忘れさせるためだったのだと気がつきました。

 

パニック障害は、治るという先生もいれば、寛解を目指すという先生もいます。

私はどちらかといえば、治るものであると思っています。

私は、治った方にばかり出会うからです。

治った方が、共通して言うことがあります。

 

「あれは一体何だったんだろう?」

 

1日中毛布を被って怖がっていたことが、今思うと不思議なんだそうです。

そして、その頃の記憶が薄れている…。

 

そこで私は、忘れるということが、最大の治療なのではないか?
ということにたどり着きました。

 

忘れたいと思うことは、忘れようとすればするだけ忘れられません。

忘れようとする時、忘れる対象を必ず考えなければいけないからです。

そうして、忘れたいことは記憶として定着します。

 

テスト勉強みたいなものですね。

繰り返し繰り返し、暗記をして覚えている状態です。

 

どうしよう毎日不安を思ってる…。不安が記憶に定着してしまう…。

なんて、心配はしなくて大丈夫です。

 

暗記したものを少しずつ忘れていくように、考えない時間が増えれば増えるほど、不安は忘れられていくものだからです。

 

好きなことをしなさい。楽しいことをしなさい。
と、治療の際によく言われるのは、忘れる時間を作りなさいということです。

 

使われなくなった脳の神経は細く弱くなっていきます。

使っていれば太く強くなっていきますから、不安を呼ぶ神経が強化されることを阻止しようということですね。

 

私は、不安が頭の中を過ぎり始めた時、すぐに立ち上がって掃除をしたり、創作をして手を動かしました。

手を動かしていると、そちらに夢中になっているので、近づいていたはずの不安の雲がいつの間にかいなくなっていることに気がつきます。

そうして、忘れている時間を意識して作り出していきました。

もし、起き上がれる体力があるのなら、手や体を動かしてみてください。

毎日掃除をすると決めてしまってもいいかもしれません。

ほこりを一掃するように、不安も一掃してしまいましょう。

 

そうして得た達成感は、「自分には力があるのだ」ということを思い出させてくれます。

 

広い世界に放り出されたような無防備な感覚が少しずつ和らいでいき、生きる力を取り戻せます。

 

「忘」という漢字が、「心を亡くす」とあるように、忘れるということは、心を無にしている状態であることなのかもしれません。

 

今回は、忘れるために、手や体を動かすことについて書きました。

次回は、忘れる時、心がどんな状態になっているのかを書いてみたいと思います。

 

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こわいものはなんですか?

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ココア、入りました☺︎

ごゆっくりどうぞ。

 

立ち寄って頂けてうれしいです。

ありがとうございます。

 

 

どちらかといえば怖いもの知らずだった私は、

パニック障害になってから、

怖いものだらけになりました。

 

外出

人混み

公共の乗り物

高速道路

渋滞中の道路

エレベーター

など、並べたらきりがないくらい。

 

毎日をただ無事に過ごすことで精一杯だったので、

「怖い」と思うことを疑う余裕はありませんでした。

 

自転車に1度乗れるようになると、その後は何も考えなくても乗れます。

それは、自転車の乗り方を脳が理解し、動きを自動運転に切り替えたからです。

 

自動運転に切り替えられたものは、何も考えなくても出来るようになります。

そうやって脳の負荷を少なくしていくことで、また新しいものを取り込んでいくのですね。

 

ん?『自動運転に切り替える』?

 

もしかして、「怖い」が自動運転に切り替えられているのではないか?

 

本当に怖いかどうかも考えないうちに、それらのことが、自動的に「怖いもの」として処理されていることに気がつきました。

 

外出が本当に怖い?

人混みが本当に怖い?

 

自分に問いかけると、怖いのは、外出や人混みといった対象ではなく、湧き上がる「怖い」という感情の方だということが分かりました。

 

「怖」という漢字は、

りっしんべんと布に分けられます。

りっしんべんは心を表します。

 

子どもの頃、暗闇やおばけを怖がりました。

今でも苦手ですし、実際におばけがきたら退散願うでしょう。

それでも、子どもの頃ほど怖がることはない。

「それは慣れたからだ」というけれど、どうして人は怖さに慣れていくのか。

 

そもそも怖いという感情は、脳が私たちを生かすために起こすものです。

高いところを怖いと思わなければ、無防備に飛び込んでしまうこともあるでしょう。

「怖いけれど、このくらいの高さなら大丈夫」ということを、経験や知識として習得し、少しずつ怖さにも慣れていきます。

 

そうして怖さに慣れることで、刺激だらけの世界でも生きていけるようになります。

 

「慣れる」ということを考えた時、私は、怖いという感情が起こるたびに、心に布がかけられていくのではないかと思いました。

 

大切に大切に心に布をかけて、

恐怖から心を守ってあげる。

 

「怖」という漢字には、そんな思いが込められている気がしてならないのです。

 

嫌だと思っていた「怖い」という感情は、

まさかの毛布。

 

怖いという感情が起これば、今心に毛布がかけられたと思えばいい。

そのぬくもりに守られ、今は安心してさえいればいい。

頑張るのは、怖いという感情と戦うことではありません。

頑張るのは、体へのアプローチです。

運動をして、ご飯を食べて、よく眠り、体力をつけることです。

家の中を歩くだけでも立派な運動です。横になりながら手足を動かすのも運動です。

楽しいことを想像することも、脳の運動です。

息をしているだけでも運動です。

出来ることを探してみて下さい。

決して最初から無理をせず、自分のペースで出来ることから始めてみて下さい。

 

運動すると、暑くなりますね。

暑いのに、その上毛布を着ているなんてとんでもない。

毛布なんていらないや。

体力がつけば、そうやって自然に自分から毛布を剥ぐ時がきます。

 

私は、ある日突然パニック障害になりました。

だから、ずっと自分に言い聞かせていた言葉があります。

 

「ある日突然なったのだから、ある日突然治ることもありえる」

 

今日パニック障害を抱えていても、明日も抱えているとは限りません。

 

明日、治っていることだってありえるのだから。

 

 

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はじめまして、世界

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ココア、入りました☺︎
ごゆっくりどうぞ。

 

はじめに

足跡をつけていただいて、文通をしているような気持ちになりました。
立ち寄っていただいてありがとうございます。

佐々木イソラ

 

 

得体の知れないものというのはたくさんあります。

私にとってはパニック障害もその1つでした。

これをすれば絶対治るという情報もない。

解決方法も分からない。

寝ていれば治るというものでも無いらしい。

どうすればいいんだ。

私は、ただただ得体の知れないものに怯えていました。

 

得体の知れ無いものは怖い。

得体を知れたらどうなのだろう。

 

幽霊の正体見たり枯れ尾花

 

幽霊だと思っている間は恐怖に慄いていたとしても、

枯れたススキの穂だと知った瞬間に恐怖は

去ったというものです。

 

ここにヒントがありました。

 

暗闇の中、幽霊を枯れたススキだと知るまでに、

一体何をしたのか?

 

しっかりと目を開いて、

本当に幽霊なのかどうかを確認したんです。

 

「なんだ、枯れたススキじゃないか」
そう思えるまで。

 

脳は命の存続を担っているので、怖いというものを

優先的に記憶していきます。

怖いというものを回避する方が、存続の確率は高いと

判断するからです。

 

パニック障害という幽霊が見せる世界に、

1つ1つ枯れたススキを見つけなければならない。

 

脳を再プログラミングするように、私は私の育て直しを始めました。

 

電車に乗ると「怖い」と反応します。
「これは電車という乗り物だよ。大丈夫だよ」

 

映画館に入ると「怖い」と反応します。
「ここは映画を楽しむ場所だよ。大丈夫だよ」

 

「なんだ、ただの電車じゃないか」

「なんだ、ただの映画館じゃないか」

そう思えるまで。

 

刺激という刺激に反応する私に、まるで初めてこの世界に生まれ出た子どもをあやすように。

 

ポンポンと胸をたたきながら、何度でも、何度でも、

1つ1つ答えてあげます。

 

そうして少しずつ、

私は私の手で育て直されていきました。

 

電車に乗るのも、外を歩くのも、生きるのも。

パニック障害になった日から、

全てが挑戦になりました。

 

息ができることも、歩けることも、食べられることも、普通じゃなくなったから、
それらのことに、いちいち感動して、

いちいち奇跡を思うようになりました。

 

パニック障害って、もしかすると、生まれ変わりというものを、生きながらにして味わわせる為に起こるのかもしれません。

 

実際に私は、生まれ変わったように人格が変わりました。

全てに奇跡を思う人間では無かったですから。

 

思うのです。

 

私たちは、全てが挑戦になったけど、全てに奇跡を思えるようになったんだよ。

 

それはもしかしたら、幸せなことなのかもしれない。

 

奇跡は、(大)きな(可)能性を辿った(跡)と書きます。

 

あなたが歩く道は、でこぼこかもしれません。

たくさんの傷を負い、「もう嫌だ」と歩くことをやめたくなるかもしれません。

それでも、もがきながら進むあなたの前には、新しい可能性への道が開けています。

その大きな可能性を辿った跡に、奇跡は起こります。

 

はじめまして、新しい世界。

 

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脳の誤作動は乗っている電車が違うだけ

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ごゆっくりどうぞ。

 

はじめに

ブログにはてなスターをつけて頂きました、

アカウント様。

その方に届くことを願って、勝手ながらこの場よりお礼を申し上げます。

まだ出発して間もないブログに立ち寄って頂きありがとうございました。

伝わるブログに出来るよう、日々勉強を重ねていきたいと思います。

これからもどうぞよろしくお願い致します。    佐々木イソラ

 

 


パニック障害は、脳の誤作動によるものだと言われています。

 

この脳の誤作動という言葉に、

少し恐怖を感じられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

誤作動とは、本来は危険ではないものに反応して

神経伝達物質が必要以上に分泌されてしまっている状態のことです。

 

神経伝達物質の代表的なものに、

ノルアドレナリンセロトニンがあります。

 

ノルアドレナリンは、危険を感じた時に心拍数や血圧を上昇させます。どうしてそうするかというと、人は本当に危険があった際に、「逃げる」「対処する」といった行動を取らなければいけないからです。

すぐに動ける体の状態にするために、心拍数や血圧をあげるのですね。

 

セロトニンは、不安を落ち着かせる働きがあります。

興奮状態である体に対して、「まぁまぁ落ち着いて」と、なだめてくれる働きをします。

 

ノルアドレナリンを「火」とするならば、

セロトニンは「水」ですね。

どちらもとても大切です。

 

ノルアドレナリンセロトニンが、

なぜ発作が起こる前にうまく機能してくれないのか?

 

例えると、彼らが乗っている電車が違うからです。

ノルアドレナリンが特急に、

セロトニンが各駅停車の電車に乗っている

と想像してみてください。

 

各駅停車で特急に追いつくには時間がかかりますね。

 

でも、だからといって何も心配はいりません。

 

彼らの目的地が一緒だからです。

彼らの目的地は、あなた。

彼らはあなたを守る目的を共有しています。

 

発作が起こり、落ち着くまでどんなに長くても30分。

必ず彼らは目的地で合流し、あなたを落ち着かせます。

 

誤作動が起こるからといって、脳が機能していないというわけではありません。

 

そうは言っても、セロトニンにも特急に乗ってもらいたいところです。

その為には、セロトニンが充足していることが大切です。

 

出来る限り規則正しい生活をすること。

睡眠をしっかりとること。

バランスのよい食事をとること。

腸内環境を整えること。

運動をすること。

どれも言われ尽くしている事柄ですが、

やってみるとその大切さに気づきます。

 

私が早くに効果を感じたのが、

出来る限り規則正しい生活をすることでした。

規則正しいリズムのある生活は自律神経も整うので、

結果的に相乗効果をもたらすのかもしれません。

 

セロトニンが充足してくるのには、少し時間がかかるかもしれません。

 

その間にも、「たとえもし、ノルアドレナリンセロトニンのバランスが崩れて発作が起きようと、彼らは必ず合流する」ということを思い出してもらえたらと思います。

 

あなたの日々が、少しでも安心で包まれることを願っています。

 

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どうしようはこうしよう

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ごゆっくりどうぞ。

 

〜になったらどうしよう。

と思うと、不安は増します。

 

発作が起きたらどうしよう。
人混みの中で気持ち悪くなったらどうしよう。
道端で倒れたらどうしよう。

 

どうしようが頭の中を支配して、

不安でいっぱいになります。

不安ちゃん増殖です。

 

どうしようって、何でこんなに不安が増すんだろう?

 

どうしよう。

 

と、紙に書いて眺めていると、

分解できることに気がつきました。

 

どうしようは、「どう、しよう」なんだ。

 

「どう、しよう」か分からないから、不安にストップがかけられない。

 

どうしようって、

ずっと問題を考え続けている状態なんです。

1+1をずっと考えてる。

 

子どもの頃、泥だんごを2つくっつけて

「1+1は1じゃないの?」と言ったエジソン

のように、1+1をずっと考え続けることは

とても素敵なことですが、今は割愛。

 

問題を考えている間、

脳は問題のことばかり考えています。

 

今必要なものは、解。

 

解を導き出すと決めた途端、脳は解を探し始めます。

 

発作が起きたらどうしよう?
→呼吸法をしよう!

呼吸法はこちらです↓

isora358.hatenablog.com

 

 人混みの中で気持ちが悪くなったらどうしよう?
→座って休もう!
→無理なら近くの人に助けを呼ぼう!
→あたたかい飲み物をゆっくり飲もう!

 

道端で倒れたらどうしよう?
→誰かが助けてくれる!倒れておこう!
→楽になったら起き上がろう!

 

こうやって、問題に次々と解を出していきます。

 

解のある問題は、問題ではなくなるので、

不安が徐々に減っていきます。

それは、不安への抵抗力がついてきた

ということにもなります。

 

〜になったらどうしようと不安がやってきたら、

今すぐその先を決めてしまえばいい。

 

自分ではどうしようもできない問題もあると思います。その時は、少しでも楽な気持ちになれる解を探します。

 

問題に対するあなただけの解を、

どんどん書き出していってください。

 

どう、しよう?
こう、しよう!

 

続けていると、脳がこう言い始めるかもしれません。
「モウコレイジョウ、モンダイハアリマセン」

 

どう、する。


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人混みへの挑戦

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ごゆっくりどうぞ。

 

突然ですが、私はRADWIMPSが好きです。

ずっとずっと好きで、ライブに行きたくて、でも人混みが怖いから行けない状態でした。

 

ある日、友達がライブがあるよと教えてくれて、

心はそわそわ葛藤を始めました。

 

もう十分だ。行こう!行ってやろうじゃないか!
人混みがなんぼのもんじゃい!(何弁?)

 

ところが、頼みの友達は都合が合わず…家族も都合が合わず…行くなら1人で行かなくてはいけない状態になりました。

 

落ち着こう。

チケットが取れるかどうかも分からないし。

うんうん、チケットをまず取ってみよう。

抽選に応募してと……めちゃめちゃ取れたし。

 

神様がいて、お試しされているような気がしました。
「行くかい?やめるかい?どっちでもいいんだよ?」
くー。
行ってやる。這ってでも行ってやる。と、私は神様からの挑戦状を受け取ることにしました。

 

楽しむはずのライブに命がけで行くのですから、本当におかしいですよね。

 

当日、分かってはいたけれど満身創痍。

 

電車に乗る。ライブ会場に行く。その空間に1人でいる。というハードルの高さに、何度も心が折れそうになりました。

 

何とか気分を変えようと、今までの自分を振り返ってみました。

 

すると、「通院している病院内では発作が起こらない」という考えが湧いてきました。

 

それは、なぜだろう?

 

主治医の先生やスタッフの方を信頼しているから、ここで発作が起こったとしても大丈夫だと安心しきっている。ということが分かりました。

 

信頼しているなら、発作が起こらないの?

 

そこで、考え方を変えてみました。

 

人混み→怖い

 

人混み→助けてくれる人がいっぱい

 

にしてみました。

 

すると、行けたんです。

 

会場に入り、目につく人全てを、この人も、この人も、この人も助けてくれる。と、心の中で信頼していきました。

 

そして、誰よりも自分自身を信頼しました。

 

「私は、できる」

 

ライブが終わり、家に着いた途端、わんわん泣き崩れました。

 

ずっと行きたかった、行けた、怖かった、

大丈夫だった、やっぱりRADが好き、

色んな感情が一気に溢れ出しました。

 

とんでもない顔になっていたと思うので、誰かに見られていなくてよかった(笑)

 

その後、何かに挑戦するたびに、

この日のことを思い出しています。

 

挑戦は怖いです。

 

でも、やってやる。

 

失敗したっていい。
挑戦できる自分であることが、自分自身を信頼する強力な武器になります。

 

「あなたは、できる」


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経験したものはあげられる

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ごゆっくりどうぞ。


何がそんなに怖いの?
気の持ちようだろ?
わがまま。

 

これは私が言われた言葉ですが、
パニック障害を経験した方なら1度は言われる
共通の言葉だと思います。

 

当時は随分と落ち込みました。
何がそんなに怖いのかなんて、私が1番知りたかったことですから。

 

でも、よくよく聞いていると、共通点があることに気がついたんです。

 

何がそんなに怖いの?
と言う人は、パニック障害を経験したことがない人ばかりでした。

 

逆に、経験のある人と話をした時には、
そんな時もあるよね。
当日でもキャンセルしていいから。
分かる分かる。
といった言葉が飛び交うのです。


私は、そこで改めて
「人は経験していないものを理解することが出来ない」と知りました。

 

何がそんなに怖いの?
という言葉は、当たり前の疑問なのだということが分かったので、
その他の言葉にも、反応して落ち込むことがなくなりました。

 

私自身も、経験したことのないものを理解することが出来ないのだから、お互い様なんです。

 

私にも事情があるように、相手にも事情があるのだから。

 

それが分かったら、
落ち込んでいる暇などありません。

 

人1人が、1度の人生で経験できる数は

限られています。
だから、経験はとても貴重です。

 

パニック障害の患者数は、国民のおよそ100人に1人の割合だと言われています。

 

この数字を見て、
「自分が何でその100人の1人に入るんだ」ともとれたし、
「100人に1人しか、パニック障害になれない」ともとれました。

 

それならば、後者を選択してやる。

 

_100人に1人しかなれないパニック障害とやらを、自分の体を使って存分に経験してやろうじゃないか_

 

小心者のくせに強がって、自分を奮い立たせました。

 

しっぽはいつも垂れ下がり、

びくびく膝を震わせながら、
それでもいつか、

私の経験を100人に1人の誰かに渡すんだと、
自分の中にパニック障害の経験をストックしていきました。

 

そして、経験したからこそ言える言葉を手に入れました。

 

「あなたは、大丈夫」

 

あなたが今感じている悲しみも、苦しみも、痛みも、何1つ無駄になんてなりません。

 

今の状況を観察し、分析し、実行し、

結果をまとめ、
あなたの中にストックしていって下さい。

 

パニック障害という経験を、
あなたの財産にして下さい。

 

そしていつの日か、今のあなたと同じように苦しんでいる人に出会った時、
あなたはあげられる人になっています。

 

あなたなら、言ってもらいたい言葉も、してもらいたいことも分かるはず。
対処方法も知ってるし、癒し方も知ってる。
だって、ストックがいっぱいあるから。

 

経験はあげられます。

 

あげるとどうなるのかというと、あなたが永遠になります。

 

あなたのあげた経験は、次の人へ、次の人へと渡っていきます。

あなたから始まった優しい循環は、そうしてこの世界に永遠に残り続け、
誰かの力になり続けます。

 

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